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田臥勇太日本人初NBA契約選手の成績は?高校時代は?名言とは?

2018/11/25
 
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日本人の渡辺雄太がアメリカNBAの舞台に立ち話題になっています。しかし‥皆さん覚えているでしょうか!今から約14年前NBAには場違いなほど小柄な男、田臥勇太が日本人として初めてNBAの堅い扉をこじ開けた驚きと感動を!

そんな田臥の高校時代やNBAでの活躍、成績、そして解雇されてしまった理由など、まとめてみました!

プロフィール

本名:田臥勇太(たぶせゆうた)
出身:神奈川県横浜市
生年月日:1980年10月5日
血液型:A型
身長:173cm
体重75kg
中学:横浜市立大道中学校
高校:能代工業高校
大学:ブリガムヤング大学ハワイ校(中退)

小学校2年生(8歳)でバスケットボールを始めました。中学生の頃には全国大会で3位になり大会ベスト5に選ばれるなど早くも才能を開花させています。

田臥勇太の高校時代は?

中学生時代から全国で活躍していた田臥。卒業後はとにかく強いチームでバスケットボールがしたいと、地元を離れ秋田県のバスケットボール名門校「能代工業高校」に入学します。

能代工業といえばマンガ「SLAM DUNK」に登場する山王工業高校のモデルにもなった名門の強豪校ですね‥必勝不敗をスローガンにかかげ数々の大会で勝ち続けていた能代工業で田臥は、なんと1年生の頃からレギュラーを獲得しています。

ベンチ入りすらむずかしいと想像できる高校バスケットボールの頂点に君臨する名門校で、1年生でレギュラーを獲得したこと自体、田臥勇太のすごさを物語っていますね。

史上初3年連続三冠『9冠』

バスケットボールで言う三冠というのが【高校総体(インターハイ)】【国体】【全国高校選抜(ウィンターカップ)】の3つのタイトルを指します。

高校バスケットボール3大タイトルの1つ取るだけでもすごいことですが1年生の時点でそのすべてを制し三冠を達成しています。

2年生の頃には「史上最強」ともいわれるようになり、ほぼ全ての大会を圧勝して三冠を達成しています。

3年生の時には、9冠達成を目にしようと会場いっぱいの観客が集まったようです。田臥の圧倒的なスピード、広い視野で観客を魅了するパスワークが能代工業の強さと人気を引っ張っていたようですね!

田臥の3年間の活躍が原動力となり3年連続三冠の9冠を達成しました。

高校生で全日本代表候補入り

高校の3年間、数々の偉業を達成している田臥。なんと、3年生の時に高校生としては初となる全日本代表候補入りをしています。当時の監督に

スピード能力など才能は抜群

とも語られています。惜しくも最終選考で落選してしまいましたが、高校生ながらその才能はずば抜けていたようですね。

田臥勇太のNBAでの活躍、成績は?

高校卒業後は、国内数多くの大学からのオファーを断って、バスケットボールの本場アメリカへの留学を決意しました。NBA入りを見据えた語学勉強、当たり負けしない身体をつくるためのウェイトトレーニングなどの日々を送っていたようです。

しかしチームのレベルや方針に満足いかず3年ほどで帰国の決断をしたようです。

社会人リーグへ

帰国後は社会人バスケットボールの強豪トヨタ自動車に入団します。1年目から全試合出場し、通算113得点・63アシストを記録して新人王を獲得。オールスターにも1位で選出されています。

やはり日本のトップリーグでも抜きんでた活躍ですね。

アメリカ挑戦

翌年にはトヨタを退団しいよいよアメリカに挑戦します。2003年ダラス・マーベリックスのサマーリーグに参加します。

いやもう、今までに経験したことのない高いレベルでした

厳しさを感じつつも楽しさも感じる場だった

と語っているように日本では感じる事のできない感覚があったようですね‥しかし、そのマーベリックスには残ることはできず同年にNBAデンバー・ナゲッツと契約、NBA入りをめざしましたが開幕ロースター(スタメン登録)に残れず解雇。

田臥よりも身長の低い165cmのチームメイト、アール・ボイキンスからポジションを奪うことができなかったことが解雇の理由のようです。

その後、夢をあきらめずアメリカの独立リーグでプレーしNBA再挑戦をめざします。そして翌年、ついにNBAフェニックス・サンズと契約し夢を実現。

日本人初のNBAプレーヤーとなりました。当時のことを田臥は

外から見ていると、コートがコンパクトに感じていたのですが、立ってみたらより広く感じた。スタンドが大きかったり、すごい開放感があったり、そういうスケールの大きさも感じましたね

と語っています。日本人ではじめてそのコートに立った田臥だけが感じることができた感覚ですね…開幕戦を含め4試合に出場した田臥の記録は

出場試合数:4試合 合計出場時間:17分
合計得点数:7点 合計アシスト数:3

という結果でした、そして開幕から1か月突然の解雇を言い渡されました…

解雇理由は

解雇の理由として同ポジションのスティーブ・ナッシュが大活躍したこと、チームがほかのポジションの補強をするため、のようです

4試合の出場とはいえ日本人として初めてNBAの舞台に立った田臥は確実にその爪あとを残したことは間違いないですね!

その後もアメリカで様々なチームでNBAへのチャンスを求め続けましたが2008年、6年ぶりとなる国内復帰をしリンク栃木ブレックスに入団をしました。

田臥勇太の名言とは?

数々の苦難を乗り越えてNBAの舞台にたどり着いた田臥。そんな田臥が残した名言が度々取り上げられているようです。

  • 【後悔する、弱音も吐く、だけどかならず、前を向く】

  • ネガティブなことを考えるより、その間にできること、言い方をかえればその間にしかできないこと、それを自分なりに見つけて毎日取り組むべきじゃないかな。

  • 何万回もパスをし、何万キロもドリブルして、何万本もシュートを打って、何十足もバッシュを履きつぶし、僕はアメリカのコートに立った。でも、僕の旅は終わりじゃない。これは始まり

日本人として初めてNBAの道を切り開いた田臥の言葉だけにとても心に響きますね…カッコイイです。

まとめ

今もなお現役を続け「日本人唯一のNBAプレーヤー」の肩書きを背負い日本のバスケットボール人気を支える田臥。そのパイオニアがアメリカでもがき苦しんだ経験が現在アメリカに渡る若者たちの後押しになっていると思います‥

現役のレジェンド田臥勇太をこれからも応援していきたいですね!

 

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